独自のバスケ価値観を持つブロガーの日記

日々感じていること・感じてきたことを書いています。基本的にバスケットの事を書いています。

多くの人が迷惑している高圧人間

こんにちは。

 

先日、バスケの試合だったんですけど、会場にはいろんな知り合いの方がいたので、いろいろお話を伺っていました。

 

が、やっぱり「高圧型バスケプレイヤー」には多くの方がほとほと迷惑しているということですね。こういう人が多いからバスケがつまんないという人も多いでしょう。

 

このブログでもその手のことしかほぼ書いてないのですが、僕はバスケが好きなんですが、この点にはホント心底うんざりしています。

 

上手い下手に限らずいるんですが、そういう人って常に自分の価値観が「世界基準のルール」なんですよね。どこでその自信をつけたのかほとほと疑問です 笑

 

みんな「そういう人もいる」と自分を納得させようとしていますが、僕自身はそういう人とはなるべく一緒にプレイしないという選択をしていますね。もちろん全部は避けれないですね。残念ながら。

あとそういう人ってなぜか、例外なく「勝ち」にこだわるんですよね。

 

周りに迷惑さらしてチームメイトを見下して、そんなことして勝ちたいという意味がわからないのですが、おそらく自分個人の栄光を欲しているのでしょう 笑

 

そのへんの試合に少し勝ったって栄光でもない気がしますが、周りに大きく犠牲を払ってでも、ちっぽけな栄光にしがみつきたいのでしょう。

 

一生1人でやってろ 笑 

って感じなのですが、身に覚えのある方は気をつけましょうね。

僕も気をつけます 笑

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

才能という言葉は現代では暗闇そのもの

こんにちは。

今日は「才能」をテーマに書いていきたいと思います。

例えば、バスケットにおける才能の意味ってわかりますか?

で答えられる人っていないと思います。

それって言葉を具体化されてないことを意味するんです。

つまり「暗闇」、「謎」ってこと。

意味わかります?

つまり現代人ってわからないことに悩まされてんです。
「俺には才能ない」って。


この「才能」という言葉は時代が進むにつれ解き明かされていくでしょう。

なぜあのプロ選手はトッププロになれたんですか?なぜあの有名選手はスリーポイントがあんなに入るんですか?

今の時代なら本気で答えを求めたものだけしか自分の劣等感は埋められない。
人とつるんでるような奴は100%無理。

この世にバスケで特別な選手なんて1人もいませんよ。
そう思ってすぐ諦めて結論を出したがる人間が多いだけ。

今回はこのへんで。

誰かを褒めて上げることは誰かを下げていることに気づけてますか

こんにちは。

 

よく褒めることはいいことだ 的なことを言ってる方が社会にはおられますが、本当にそうなんですか? ということを書いておきます。

 

褒め方にもいろいろありますが、日本語でのコミニュケーションってかなり細かく細分化できるし、まだまだ言語も発展途上。

 

何が言いたいかって、社会はなんでも結論を出しすぎなんです。社会の言ってる事や価値観、それ本当なんですか?ってこと。

 

無意識かなにか、気づいていないかなにかは知りませんが、「安易」に人は褒めないほうがいいと僕は思いますよ。

相手との関係性もありますし、使わないほうが良いか悪いかそれはわかりません。

しかし、例えば一面として、違う誰かを「下げている」ことになり、「嫉妬」を駆り立てていることに気づけてますか?

あとは、「人を褒めれる私って素敵でしょ?」とか「俺様が褒めてやった感謝しろ!」みたいな上から目線。(人によってはモロ態度に出ている。日頃の行ないからわかる。)

褒め言葉の例だと

バスケで例えると「シュートすごくはいりますね!」「バスケ上手いじゃん!」とか

異性間のコミュニケーションだと「君、可愛いね!」「あなたかっこいいね!」とか

 

共通点は「相対的」だということ。つまりは日常様々な人を偉そうに評価しているということ。(上手い人・可愛い人・かっこいい人の逆の性質の人がいないとその発言は発信しえない。)

 

安易に人を褒めると安易に誰かを敵に回すということになる。無駄・無意味・不要な競争がおこる。

「別にそれでも構わない。それも覚悟の上だ。」というのならそれは良いと思います。

好かれたい人に好かれれば人生は幸せですからね。

 

褒めることで良い効果を及ぼすつもりならば、褒めることが短期的にも長期的にも良い効果を及ぼす場合というのもきっとあるのでしょう。

 

しかし、そういう効果ってその褒め言葉を使っている人がコントロールできるほど本当に言葉って人に使いこなせるものなんですか?無駄に年数重ねたり、人に支持されているというだけで人生悟った気になってるだけじゃないですか?実績の豊富さから自分だけはまともなことを言っているって思っていたり、有名なあの人とかが言ってたから私は間違っていないって勝手に思っているだけなんじゃないですか?

現代のありきたりな意見の一部なんじゃないですか?

 

人間て全員生まれつきみんな王様・女王様体質。

すぐ上からものをいって下に見ている人間に刷り込みをしたり馬鹿にしたりしたがる生き物。

それが本能。

 

どれだけ人間的に成長しても、本気で人に気遣うことを忘れたら未熟者と一緒。

その人の言葉は響かない。

言葉の内容とどういうつもりでその言葉を発しているか。

自己否定をやめた瞬間、人間は衰退するもの。

 

人間関係の気遣いに疲れた場合、息抜きは自分のお部屋でゆっくりとなされば良いと僕は思います。現代は監視社会みたいになってますからね。

 

今回はこのへんで。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大人になってバスケなんて楽しいわけがない

こんにちは。

 

今日も書いていきます。

 

学生バスケが楽しいとは言いませんが、大人になってバスケが楽しいなんてまーないと思います。バスケ好きの方はたくさんいらっしゃいますけどね。

 

なぜこんなことを言い切るのかというと「支配者」が多すぎるからです。

理由は単にこれだけ 笑

その場に支配者がいて楽しいわけがないんです。支配者に気を遣い、支配者の言いなりになり、支配者のやることに間違いはない って論理があらゆるコミュニティに蔓延っている。見下してる連中には挨拶もまともな会話もしない。こんな人間めちゃくちゃ多いんです。どこの環境もそうだと思いますが、バスケ環境って支配者側の論理が絶対的な正義になるんです。だから日本のバスケ選手ってバカみたいにNBAを崇拝しているでしょ? 格上と思ってる人間には媚びて、見下している人間はバカにする。だからプロ・アマ問わず、バスケ上手い人って「尊敬」の対象ではなくて「恐怖」の対象なんです。

 

そのくせ自分のことは支持しろだ、応援しろだ、評価しろだ クレクレ君状態で周りを見下しながら無双している。

もちろんそんな感じじゃない人間もいるのは知っていますが、個人レベルではこの現状はなにも変えれない。

人と人が認め合うことはなかなかに難しいですが、人類が時間をかけてゆっくりやってくことなのかなと個人的には思っています。

 

 

 

 

 

 

 

「才能」という言葉は所詮、便利な抽象的な言葉に過ぎない

こんにちは。

 

今日も書いていきます。

 

このブログを読んでるみなさんも一度は「才能」という言葉に苦しめられたことがあると思います。

 

「俺・私には、~の才能なんてない」

こんな風に。

 

 

それ本当なんですか?

才能って言葉はあまりにも抽象的すぎるんです。

 

バスケットで言えばおそらく何十年後かには、「才能」という言葉の意味が解き明かされ、具体的な言葉で呼ばれているでしょう。

 

なぜバスケットは上手い人とそうでない人に細分化されるんですか?

世の中はあらゆることに結論をすぐ出しすぎなんです。

なんもわかっちゃいないのに、わかってるふりをする。

 

はっきしいってみんなばかばかしいことで悩んでるに過ぎない。

刷り込み・暗示・洗脳ともいいますね。人間ごとの能力差なんてない。

 

もちろん解明できてないことは山のようにありますが、身長でさえそのうち黒人も日本人も均一化されるかもしれない。

 

思考停止しないで考え続ければいつか自分のほしい答えは見えると私はいつも信じています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あなたはなぜバスケットをやっているんですか?

こんにちは。

 

今日も書いていきます。

 

今回は「世の中のバスケをやっている方は何のためにバスケをやっているのか」という題材

 

何のためと言われれば基本、誰もが「自己満足」であると思います。が、何をもって自己満足なのか。

 

バスケをやっているとわかると思うんですが、基本みんなすぐ競争に走るんです。

まー競技ですから勝ち負けを競うのは当たり前なんですけどね。

 

しかしよく見てみると、初対面同士の試合だと顕著なんですが、どうも競争の方向性がおかしいんです。

その時みんなが考えていることって

「目の前の見知らぬこいつらをねじ伏せて俺という人間のすごさを相手にわからせて屈服させたい。」

だいたいこれです。態度にモロ出てるんです 笑

男の頭の中なんてこんなもん。

 

競争というより、相手を征服して上に立って俺はすごいんだって顔をしたいだけ。

女子はこういった特徴はあまりないんですけどね。

 

基本、男って自分のすごさをみんなにわかってほしくて大人になってもバスケをしてるだけなんです。

(現場の試合や試合の動画を見ていても、選手が偉そうにプレイしているか、必死でプレイしているかは見ている人間にはビンビン伝わってくる。)

大人になってもバスケをしてる方って大体、自分とチームメイトの価値を少しでも上げようと実績自慢をしたり、大会で優勝した写真をSNSにバンバンあげて、「ね?おれたちってすごいっしょ?」とみんなに言っている。(と同時に周りの価値を下げてくる。上手に周りをマウンティングしてくる。)

 

小学生でも知っていると思いますが、自慢ばかりしていると周囲の人間の心はどんどん離れていくと思いますし、永遠に誰もあなたを認めないと思います。

だから結果を残しても残してもいつまでも心が満たされないんじゃないですか?

周りはあなた自身を認めてるんじゃなくて、あなたの経歴に憧れているだけなんじゃないですか?

 

こういう思考回路をしている人ってバスケできなくなったらどうするんだろうとか思いますけどね。

バスケをやめてもあなたのことを認め続けてくれる人間があなたにはちゃんといますか。

 

今回はこの辺で。

 

 

 

 

バスケで承認欲求の塊みたいな人

こんにちは。

 

今日も書いていきます。

 

題名と少し違いますが、アドラー心理学の嫌われる勇気という本が100万部売れたと聞きましたが、結果的に世の中にどの程度影響を及ぼすことができたのでしょうか。

 

アドラー心理学に「承認欲求を否定する」とありますが、僕はこれを否定するというよりあるもんだと捉えています。

別の欲望に例えると「性欲」って誰にでもありますが、「性欲を否定する」だとちょっと意味がわからないですよね。だってあるんだもん 笑

しかし、性欲をむきだしにして誰かに声をかけたとすれば、その人にまず逃げられることがわかると思います。つまり性欲を変な形で出してはならないということですね。

承認欲求もこれと同じで人と接する際、承認欲求むきだしで人と接すれば人はみんな去っていく。だって、「俺・私をだれよりも優先的に認めなさい!」っていってる人間なんてみんな嫌いでしょ?

本に書いてあった「承認欲求の否定」のお話と観点は違いますが、あっても構わないが執着しないようにしましょう と僕は考えます。

前置きが長くなったんですが、バスケをしていると承認欲求の塊みたいな人が多すぎるということ。プロ・アマを問いませんね。

だから、こういうアドラーの本の影響ってどの程度あったのか個人的にすごく興味はあります。まー出版してからまだ4年くらいですか。

 

次の記事では承認欲求の塊みたいな人の特徴でも書きますか。

 

今回はこの辺で。